2014年06月23日
World city film
前学期作った映像が先週末ロンドン博物館で上映されました。
ショートフィルムのテーマは 世界都市ロンドン
ただ2分のロンドンの映像を作ればいいというのではなく
テーマに対してひとつの批判的視点を伝える映像をつくるという課題
ほとんどの学生は映像をつくるのなんて初めてで苦戦していました
私ももともと映画をみるのは好きだったけどつくることなんて考えたこともなく
最初は一体なにから始めたらいいのかわからないことだらけでした
都市と孤独、ロンドン紅茶文化、ロンドンと水、窓からみる世界都市、都市開発 などなど切り口は人によっていろいろ
私は変容し続けるロンドンをテーマに
ロンドンオリンピック跡地を撮って土地アクセスの変化(かつてオリンピックの観客で溢れた土地が現在はフェンスで囲まれて一般の立ち入りは禁止されている)を伝える映像をつくりました
土地の所有とか区画とか境界とかは時間や言葉みたいに人間がつくりだした概念で
土地はそもそも誰のものでもないけれど
でも私にとって生まれ育った実家の土地は特別で他にはない執着がある
その土地は何代も前から私の家族が住まわってきた
そしてたぶんこれから先もあそこには家と畑と山とが変わらずあって春には桜が咲いて秋には栗が落ちる
一方都市は土地の目的や所有がころころ変わる
同じ土地が違う意味をもつ
変化の速度も速い
ロンドンオリンピック会場となったストラットフォード一帯は以前は産業廃棄物工場や不法投棄されたゴミが放置され治安の良くなかった地域がオリンピック開発で整備されて劇的に景観が変わった
今後は住居、市民スポーツ施設、オフィス、大学、美術館が計画されており全く新しいコミュニティーができつつある
数年後はロンドンの観光名所になっているかもしれない
またこの授業はロンドン博物館との共同授業だったので
ロンドンのドキュメンタリーフィルムとしての側面も意識した
ロンドン博物館のようにその土地を代表する博物館は過去の歴史はもちろん現在のロンドンとも関わっていくべきだと思っていて
私のつくった映像は2014年3月のフェンスに囲まれたストラットフォードを記録している
数年後小奇麗なニュータウンになったらきっと思い出すことはないでしょう
毎日過ぎ去り忘れられていくもののなかでなにを集め未来に残していくかは現在のミュージアムが取り組む課題のひとつ
工事現場が残すべき価値のあるロンドンの一場面かどうかは別として
現在のロンドンを切り取る役割が映像にはあり、それはモノを集めるよりも小さなスペースでたくさんの情報を集めることができるということをいいたかった
最初は慣れないビデオカメラと三脚で撮影して、更に慣れない映像編集ソフトを友達に教わりながらやってみたけど
時間がなかったことと、ビデオカメラよりも慣れているカメラの方が強いイメージが撮れることがわかり
むしろその方がカットの関係性でストーリーを語るモンタージュという映画の技法にまじめに取り組める
ということで最終的にいつも使うカメラと自分のパソコンに入ってたムービーメーカーで作りました
提出したときは全然こんなのだめだめだって落ち込んでましたが
ロンドン博物館のパブリックスペースで流れているのをみたときは初めてにしてはそんなにひどくはないかなと思えました
フィルムの学生ではないので素晴らしい映像をつくることが目的ではない
でもつくる行為をしてみないとみえてこないことがある
映像の見方も変わるしその映像の意図も読むようになる
展示にも映像を使うミュージアムが増えている
イメージとイメージを並べて新しい意味になる
ひとつでは意味をなさなくてもいくつか並べるとそこにストーリーができる
言葉以外にも言語がある
視覚表現にも音楽にも数学も
言葉が全てじゃない
でも言葉が一番強いし伝わる
書かないと
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